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<事例03> 転倒により頚椎損傷になった日系ブラジル人男性の支援

●工場での転倒
Aさんは57歳の日系ブラジル人男性で、派遣会社から自動車部品工場に派遣された工員でした。2009年2月、Aさんが工場で部品の入った箱をアッセンブリーラインにつながるローラーに載せる作業中、片足がローラーにかかり顔面より前のめりに転倒してしまいました。転倒時に口の中を切り、体中に電気が走るような感覚を感じましたが、その日は定時直前だったので帰宅しました。

翌朝、体中に痺れを感じ歩行が困難で、言葉を発しようとしてもろれつが回らなかったため、Aさんは派遣会社の通訳に電話をし、地元の病院を受診、即入院となりました。医師には頚椎損傷と診断されました。地元の病院での治療では症状が改善せず、4月に手術を受ける為、総合病院に転院しました。

4月下旬に退院しましたが、四肢しびれ、体幹しびれ、呼吸苦、巧緻運動障害、両手指伸展不能、歩行困難等の後遺障害が残りました。

Aさんは入院当初より、医療費を会社に立て替えてもらっていました。受傷後2ヶ月経った4月、Aさんの友人から名古屋労災職業病研究会に電話があり、Aさんの労災保険請求の可能性等について相談援助することを依頼されました。

●支援の開始
手術の4日後に名古屋労災職業病研究会の相談員が総合病院に入院中のAさんを訪問し、簡単な聞き取りと労災請求について本人の意思確認を行いました。

このときの面談でAさんが倒れてからの会社や病院とのやりとりは息子のBさん(20代)が行っていることが分かりました。早速、Bさんに連絡を取り、聞き取りを行いました。

Bさんは5歳の時に両親と日本に移住、日本で教育を受けていました。Bさんとの面談で分かったことは地元の病院に入院中、病院のソーシャルワーカーから労災保険請求をする意思があるかを聞かれ、Bさんが労災保険の療養補償給付請求書(5号様式)を会社に持っていったところ、部長に「労災にはできない」と言われたことや、Aさんは同じ工場に約18年間勤務していましたが、受傷時は社会保険に入っておらず入院後、会社の部長が急遽、Aさんを社会保険にいれ健康保険証をわたしたことなどが分かりました。

主治医意見を聞くため、地元の病院、総合病院の医師達に面会を申し込み、4月下旬に地元の病院の医師と面会した結果「頚椎損傷で職場での転倒との因果関係は相当ある」ということでした。また、総合病院の医師と面会し「頚椎損傷は転倒時のものであると考えられ、転倒事故との因果関係はあると思う」という意見を聞くことができました。

●時間がかかった会社との話し合い
Aさんの自動車部品工場での雇用関係は日本企業とブラジル人労働者との関係を如実に表しているケースでした。平成5年に正社員として自動車部品会社に入社しましたが、平成11年にこの会社は買収されてしまい、それ以後、請負や派遣の雇用契約により、ずっと同じ工場で働いていました。Aさんの意識の中では18年間の勤続であるから当然、退職条件もそれなりの条件でと考えたようでした。この間、生活は健康保険の傷病手当を頼りにしていました。

2ヶ月程経過した7月、Bさんから相談員に連絡があり面談すると、会社からの解雇予告通知書と、会社が立て替えていた医療費80万円の請求書を見せられました。この時、Aさんに80万円の医療費を支払う能力はありませんでした。 会社に労災保険請求に協力してもらうよう、相談員と親子で8月、9月と2回話し合いをし、労災保険請求書類に会社証明をしてもらうことになりました。

10月にはBさんから電話があり、貯金も底をつき、Aさんが解雇されるまで受給していた傷病手当金も使い切ってしまったと連絡がありました。

Bさんは自身の家庭を持っており、Aさんとは別の家に住んでいまいた。Aさん、Bさん相談員とで市役所を訪れ、Aさんの生活保護申請を行い、障がい者手帳申請の説明も同時に受けました。

●認定
会社からの労災関係書類到着が大幅に遅れ、地元の病院と総合病院に労災の休業補償給付請求書(8号様式)を提出し、医師証明をもらい労働基準監督署に労災保険請求書を提出したのは12月下旬でした。 2010年1月に労働基準監督署で5時間に及ぶAさんへの聞き取り調査が行われ、4月初旬に労災認定されました。 Aさんはその後、市役所、医療機関、協会けんぽ、労働基準監督署などと協議しながら生活保護費、医療費、傷病手当金、高額医療費の返還の手続きをし、労災に係る医療費を全て労災保険に切り替え、労災保険の障害補償年金の受給まで労災保険の休業補償を受けました。 杖無しでの歩行が困難な身体障がい者になり、生活費の入ってこないAさんの療養の継続を1年以上支えることが出来たことは良かったのですが、様々な問題があり、労災保険請求が遅れ、認定まで大変な労力が必要であったため、多くの煩雑な事務手続きが発生してしまいました。

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